3世紀にわたる海の文化財 CariadT(1896〜)

 

    1896115日。この日ダンレーブン伯爵はイギリス南部のサザンプトン港にあるサマーズ&ペイン造船所で自分の新しいヨットの進水式を楽しんでいた。このヨットがキャリアド (Cariad)、ウェールズ語で愛しい人と言う意味を持つ言葉を名前に附けた。バルキリー2世と3世での2度のアメリカス・カップ挑戦に敗れた彼はそれまでのレース一辺倒の船遊びから船を使って色々な遊びを楽しむヨットライフへ方向転換した。アイルランド沖で釣りに興じたり友人のリチャード・ドイリー・カート(軽演劇作家ギルバート&サリバンの興行師でサヴォイホテル、サヴォイ劇場のオーナー)のオーケストラを乗せて海上コンサートを楽しみながら自らもバイオリンの演奏を披露したりしていた。ただ、その様な使い方をしても彼のスピードへのこだわりは消えておらず、キャリアドも豪華でありながらスピードを重視する設計になっている。これによってそれまでに無かったレーサー・クルーザーと言うカテゴリーのヨットが誕生した。これを実証したのが1898年にインド航路400周年を記念して行われたバスコダガマ杯レース。イギリスを出発して喜望峰を回りインドまでを往復するレースでキャリアドは優勝杯をダンレーブン伯爵の所属するロイヤルヨットスコードロンに持ち帰った。

  1900年にはJ.B.ミラーがダンレーブン伯爵から買い取り、1902年にはダーリントンのC.B.ディクソン-ジョンソンが買い取りロイヤルヨークシャーヨットクラブに移る。1913年にはフランク・チャンプリンが買い取りロイヤルヨットスコードロンに戻るがその時に船名をフィドラ(フォース川河口にある島の名前)に改名した。1919年にはスエーデン海軍大尉のスーン・タムと弟のセバスチャンが買い、同僚の海軍将校4人と6人のクルーで1920年から1922年に世界一周の航海を敢行した。スエーデンのカールスクローナを出発してマゼラン海峡を抜けてタヒチ、ホノルル、スバ、横浜、香港、シンガポール、コロンボ、アデン、スエズ、ジブラルタルを通りスエーデンに戻った。この時1921年(大正10年)に初めてキャリアド(当時はフィドラ)が日本に入港している。これは実に関東大震災の2年前である。

   その後1927年に南アフリカ人のH.J.ウェンバーンとH.E.エバンズが買い取りケープタウンに持っていき1929年にエバンズは自分の持分をウェンバーンに売りウェンバーンが単独オーナーになる。1933年にウェンバーンは名前をキャリアドに戻そうとするがダンレーブン伯爵はキャリアドIIと言うヨットをすでに建造していた。それで当時のそのヨットのオーナーとの間でキャリアドIIがキャリアドとなり、フィドラがキャリアドIになると言う事が合意された。1948年には同じ南アフリカのA.W.フリットンが買い取り、1952年から1953年にかけて世界一周をする。(この時の写真はキャリアドホームページに掲載)その後南アフリカのローリングC.M.ラトレイが1963年に、K.スーティーが1969年にオーナーになり、1974年にイギリス人のシーモアとパメラ・マービン夫妻が買い取る。ギリシャやカリブ海でチャーターに使われた後1981年から1983年にかけて大々的にレフィットを行いその年のカウズウィークに参加した。

  またカリブ海に戻りチャーターに使われた後1987年にバブル景気の日本企業がキャリアドIを買い取り日本に持ってくる。彼らは接待用の船としてキャリアドIを使っていたがバブルも弾け、1990年にはキャリアドIをシンガポールに持って行きそのまま放置した。日本で最初のサーカムナビゲーターである栗原景太郎がこの様な歴史的な船が放置されている事を知り1993年に日本チャーターヨット協会が中心になって有志を募りキャリアドIを買い取った。シンガポールでレストアしてフィリピン、台湾を経由して日本に戻り、レインボーブリッジ開通の日にその下を通り東京に入港した。

   それ以来10年以上にわたって海の楽しさを色々な人達に教える様々な活動を行ってきたが流石に寄る年波には勝てず、大規模な修理が必要になって来ました。今年中にキャリアドIをタイかミャンマーに持って行き、大々的なレフィットを行う予定です。そこでキャリアドIを新品同様に直し、その後ヨーロッパで再デビューさせるのが一つの大きな目標です。特に2007年の次のアメリカス・カップは防戦国がスイスなのでスペイン国王の要請によりバレンシア沖で行われる事が決定した。その時に観戦艇として行くだけではなく、C.I.M.(モナコ国王が中心となってできた各国ヨットクラブの集まり)主催のクラシック・ヨット・チャレンジにも参加しアジアにも海洋文化が存在する事を示し、今までのクラシック・ヨット・チャレンジの参加艇を見ても19世紀に作られたヨットは無く、もし出場すれば画期的な出来事になる。なんとしても2007年の第9回プラダカップ大会には参加をしたいと思います。